きのぼり

過去への思慕と寂れた日常

子どものおえかき

子どもと一緒にお絵かきをしていて気付いたこと。

描いた絵を指して「これは何?」と質問すると、絵の説明に加えてどんどん書き足していっていた。人から質問されると引き出しが開きやすくなるみたいで、説明してるうちにイメージが具体化して表現しやすくなるのかもしれない。

子どもの描く絵が芸術作品に見えてきている今日この頃。

菓子とコミュニケーション

一緒にお菓子をたべるだけでその場の雰囲気が和やかになる気がする。スタッフからのお土産を控え室で食べたりとか、帰りの電車でグミを分け合うとか。本当になんともないことだけど、ご飯やお茶に行くような関係性でない相手とも少し近づける気がする。
美味しいものを美味しいねと言いながら一緒に食べたら、それだけで心の距離がぐっと縮まる気がする。同じものを一緒に食べることほど時間と体験を共有できる日常的な営みはないのでは、とも思う。

ゴキブリ人生

「あんた、そんなコソコソしたことばっかやっとったらゴキブリ人生になるで!」

小学校一、二年のときの担任の先生が何かにつけて児童の私たちに向けて言っていた台詞。毎日居残り勉強させられるし、話の聞いてない子にチョーク投げつけたりするしの一昔前のスパルタ教育クソババア。子供同士の関係調整にも力を入れていて、少しの問題もあやふやにせず問題発覚即「はなしあい」。問題が多いと算数の時間も図工の時間も「はなしあい」の時間に変更。二時間分の授業ぶっ潰してでもクラス全員の前で公開裁判。その先生が、子供の間での陰口や陰湿な悪戯を叱る際に言っていた台詞。叱る通り越して罵っているような気もするけど、今でも何かをコソっとしようとするときにこの言葉を思い出す。

今日は人のいない時間帯を狙って、終電間際の研究室に図書の返却と文献印刷をしに行く。こういうことをコソコソしようとするときに自分のことをゴキブリのようやなと思うのは、この先生の言葉の影響が大きいんやろうなと思う。

サンダルの底

今日の天気は雨で、お気に入りの靴を濡らしたくなかったのと靴下を履くのが面倒だったのとで、二年前に購入してから夏場は毎日のように履いているビルケンのサンダルを履いた。家を出てすぐ、駅に向かう歩道橋のタイルの地面で滑って転びそうになったのでサンダルの底を確認してみると、一部分の滑り止めの凸凹が磨り減って平らになってしまっていた。転んでから気付くのでは少し遅いので、少しでもおかしいなと感じたら直ぐに確認するのが賢いなと感じた。これは体や心の調子にも似ているなと思った。体力も気力も気付いた頃には磨り減ってしまっているから、おかしいなと思ったら様子を見てあげるのが良策だと思った。

心身が磨り減ったら療養や治療で回復できることも多いけど、サンダルは所詮消耗品。いくらお気に入りで気にかけてお手入れしてもいつまでも使えるわけではない。どれだけ気に入って高いお金を出して買っても使える期間は限られていて、お気に入りのものほど使ってしまうけど使った分だけ付き合いが短くなってしまうのはやはり寂しいと改めて感じた。それと同時に、どれほど消耗すれど死ぬまで付き合い続けないといけない、代わりの効かない自分の心と体をもう少し労ってやろうと思った。

浴衣の話

中一の頃、安物のユニクロの浴衣をおばあちゃんにピシッと着付けてもらって市の大きなお祭りに行った。紺地に色とりどりの花火が打ち上げられていて、帯は朝顔のような落ち着いたピンク色。綺麗でとてもお気に入りだった。浴衣を着て友達とお祭りなんて本当に久しぶりで、浴衣を着付けられている間中ワクワクしていた。おばあちゃんはとても厳格な人で、帯を締めるときもこれでもかというほどキツく締めた。私が苦しいと訴えても、解けるからアカン!と言って可能な限りキツく締めた。お太鼓の結び方を幾通りも知っているらしく、「今日はリボンにしたろ」と言って、安物の帯で綺麗なリボンを作ってくれた。
愛読雑誌ニコラに「浴衣姿の髪はもちアップスタイル☆」と書いていたのに影響を受けて、自分で髪も整えた。不器用な私は髪を結う技術など持ち合わせているはずもなく、低く結んだポニーテールを持ち上げてプラスチック製のコンコルドで挟んだだけの髪型。今考えたら風呂上がりのような髪型だけど、当時はいつもと違う髪型をしていることに心が躍っていた。綺麗な帯のリボンとお気に入りのアップヘアで、お祭りの間ずっと後ろからの目線を気にし続けた。


高一の頃、天神祭に行くことになった。浴衣を着るのは三年ぶりで、お気に入りのユニクロの花火の浴衣を出してもらった。三年前のように祖母に着付けてもらおうとしたけど、祖母は認知症が始まっているのでやめた方がいいと母親に言われた。それならばと母にお願いしたけど、母は着付けをした経験など一度もなくて、試行錯誤の末出来上がった浴衣姿は、苦し紛れにおはしょりを縫い合わせてお太鼓もぐちゃぐちゃのはだけたような浴衣姿。泣きつくように祖母に帯を結んでとお願いしたら、ぐちゃぐちゃのお太鼓を撫でたように触って「できた」と言われた。綺麗な浴衣姿で遊びに行けず、そのうえ祖母の衰弱をひしひしと感じて本当に悲しかった。


大学一回生の夏。大学で浴衣を着る機会があり、折角なのでと新しい浴衣を買った。浴衣を下宿先に持ってきていない友達に一着貸してと言われたので、お気に入りだったユニクロの花火の浴衣を貸した。とても可愛い子で、とてもよく似合っていた。もうしばらく貸してとお願いされたので良いよと伝えた。数週間後、その浴衣を着て彼氏と花火大会に行ったことがSNSに綴られていた。可愛い女の子がデートで着た思い出の染み付いた浴衣にもう一度袖を通そうという気になれず、お気に入りだったその浴衣はプレゼントした。


昨年の夏、新しい浴衣を三着買った。一つはネットで、あとの二つはたまたま立ち寄った和服屋のセールで。まだまだ着付けを自力ですることはできないし、未だに髪も綺麗に結うことは出来ない。不器用なので着付けを身体で覚えるのも時間がかかりそうだけれど、せめてこの三着だけは色褪せるまで大切に着てやろうと思う。なるべく幸せな思い出を染み付けつつ。

ガーリックトースト

今日は朝から傷みかけのきのこたちできのこ丼を作った。バターをしいたフライパンにおろしにんにくを投入したら、ガーリックトーストの匂いがして「お父さん!」と思った。

私の父はアホほど酒飲みで酒に溺れて死ぬくらいの酒飲みだった。パパっ子だった私は未就学児の頃から立ち飲み屋に連れて行かれ、幼女全盛期に男湯を幾度となく体験したりもした。銭湯のおっちゃんに「いつまで男湯入っていいー?」と聞いたら「小学生になるまでやね」と言われた記憶があるので、私は五歳まで父親同伴で男湯に入っていたらしい。

パパっ子の私は味覚までパパ寄りで、ダイエーで買ったおつとめ品の鶏皮のタレが好物だったりした。ガーリックトーストも大好物で、レストランではデザートにガーリックトーストを注文してたし家でも学校に行く前に口臭など気にせず食べたりもしていた。

アルコール中毒になる前の父が夕食後によく一人でガーリックトーストを焼いていたときの匂いを、溶けたバターにおろしニンニクを突っ込んだときの匂いで思い出した。ガーリックを塗ったパンを焼きながら一人で歴史番組などを見ていた気がする。その頃の父はとても優しい目をしていた。

父の死に方と最期の数年間が悲惨だったゆえ心の傷となっている部分も大きいけれど、幸せだった頃があるのも確かなので、これからたくさん愛でてやりたい。